福島県福島市

ときめき やすらか 希望にみちた 人間尊重のまち 福島市
http://www.city.fukushima.fukushima.jp

人口 279,786人(平成30年9月31日現在)
主な産業 第1次産業 6,161人(4.9%)第2次産業 29,906人(23.7%)
第3次産業 90,159人(71.4%)総数(分類不能分含む) 132,413人
(平成22年度国勢調査より)
市の紹介  福島市は、福島県中通り北部に位置し、平成20年7月1日に飯野町との合併により現在の市勢となりました。西は奥羽山脈に連なる吾妻連峰、東は丘陵状の阿武隈高地に囲まれた福島盆地に開け、市域を南北に阿武隈川が流れています。市域の中央に位置する緑豊かな信夫山を取り囲むように市街地が広がり、市街地の周辺では肥沃な土地を利用した農業が盛んで、果物などの一大生産地を形成しています。花見山に代表される花や四季折々の美しい自然とともに、那須火山帯に属しているため温泉に恵まれています。

縄文を活かした
まちづくりの紹介
 南東北を代表する縄文集落跡である史跡宮畑遺跡が、縄文時代の景観を伝える史跡公園「じょーもぴあ宮畑」として、平成27年8月8日に全面開園しました。
縄文の魅力をふるさと自慢のひとつに位置づけ、福島市民が全国に誇ることができる「じょーもぴあ宮畑」を目指し、市民及び市内の団体・企業により組織された「じょーもぴあ・遺跡の案内人」、「じょーもぴあ活用推進協議会」を中心に、市民との協働により、学術的価値をもとにした活用とともに、観光・まちづくり面においても幅広く活用を進めています。
主な遺跡 宮畑遺跡
宮畑遺跡は、それぞれ特徴の異なる縄文時代中期・後期・晩期の集落跡が存在する遺跡で、平成15年8月27日に文部科学省より史跡に指定されました。
縄文時代中期の集落は、燃えにくい土屋根の竪穴住居の約4割が意図的に焼かれており、住居廃絶に伴う独特の風習が存在する全国でも例のない集落です。縄文時代後期の初めには、関東地方に例が多い敷石住居を伴う集落が営まれ、湿地を埋め立てた痕跡が確認されています。縄文時代晩期になると、広場を囲んで掘立柱建物が環状に配され、掘立柱建物群の周囲には幼児用の墓と考えられる埋甕群が存在しています。中には直径90cmの巨大な柱を使った掘立柱建物が存在します。掘立柱建物は、居住用の建物ではなく、祭祀にかかる建物の可能性が高いと判断されています。
史跡公園「じょーもぴあ宮畑」は、縄文時代晩期の掘立柱建物群と埋甕群等の屋外展示、縄文時代後期の土器送りの場の実物展示、体験学習施設でのテーマ展示により、宮畑遺跡に暮らした縄文人の生活を伝える施設として、平成27年8月に開園しました。
上岡遺跡
縄文時代後期から晩期にかけての集落遺跡で、昭和27年12月15日に暗渠排水溝敷設中に多数の土器や石器とともに蹲踞の姿勢をした土偶が出土しました。昭和27年12月17日より同30日まで東湯野村(当時)教育委員会により実施された発掘調査において、竪穴住居1棟と3ヶ所の炉跡、縄文土器、石器類とともに、遮光器土偶を含む土偶や朱漆塗りの耳栓・イモガイ形石製品などの祭祀遺物・装飾品が出土しています。
蹲踞の姿勢をした土偶は、平成23年6月27日に国重要文化財に指定され、開園した「じょーもぴあ宮畑」の体験学習施設で常設展示しています。
南諏訪原遺跡
縄文時代晩期の柵に囲まれた集落跡が発見され、柵の中には竪穴住居と掘立柱建物が存在しています。柵列の中心に掘立柱建物を配した集落跡と考えられています。柵列は6列確認されていますが、その重なりから作り変えられた結果と考えられます。
仙台内前遺跡
縄文時代草創期の竪穴住居跡と石器制作跡が発見されています。竪穴住居跡は、出土した炭化物の年代測定の結果から、約1万年前のものと考えられています。石器制作跡からは、実用的でない美麗な両刃の磨製石器等が6点まとまって発見され、「意識的に遺物を埋納した」地点であると考えられています。仙台内前遺跡で発見された縄文時代草創期の縄文土器破片55点と石器239点は「断片的な資料がほとんどの県内の縄文草創期の資料の中で、唯一まとまる資料である」として県重要文化財(考古資料)に指定されました。
和台遺跡
飯野地区に所在する阿武隈川を望む高台に位置する中期の大集落です。平成9年から11年にかけての発掘調査により、写実的な表現で縄文人の全身像が描かれた人体文土器、縄文人の狩猟の姿を描いた狩猟文土器などとともに数多くの出土品が発見されました。狩猟文土器は南東北で初の発見例であり、時期的にも最も古い狩猟文土器です。また、遺跡からは福島県で最多となる230棟を超える複式炉を持つ竪穴居住跡がみつかっています。集落は中央広場の周囲に掘立柱建物が巡り、その外側を竪穴住居が取り囲むという集落構成が明らかになっています。一般的な集落遺跡としての性格だけではなく、社会構造や精神生活などを知る上でも貴重な遺跡であり、南東北地方の中核的な拠点遺跡であったことが明らかになり、平成18年7月28日に文部科学省より史跡に指定されました。
白山遺跡
和台遺跡とは女神川をはさんだ対岸にあり、和台遺跡と同時期の遺跡です。昭和32年、畑の開墾中に遺跡が見つかり、当時では発見例のない縄文土器を埋めた炉と石組みの炉からなる巨大な炉が発見されました。この炉は福島県の梅宮茂氏、明治大学の後藤守一氏により複式炉と名づけられ、その後、福島県では第1号となる復元住居が後藤氏の設計図に基づき建築されました。当時は、復元住居の建築自体が貴重だったため、遺跡名(飯野白山遺跡)とは異なる名称(飯野白山住居跡)で福島県の史跡に指定されました。
主な観光地 飯坂温泉、土湯温泉、高湯温泉、磐梯吾妻スカイライン、四季の里、古関裕而記念館、花見山、御倉邸、旧堀印邸、福島市民家園
主なイベント ○信夫三山暁まいり
2月10・11日市街地にある信夫山羽黒神社に、長さ12m、重さ2tの大わらじを奉納するものです。五穀豊穣と健脚、家内安全を祈願。
○わらじまつり
8月上旬に開催される暁まいりに由来するまつりで、「わらじ踊り」、大わらじを引いてタイムを争う「わらじ競争」、「ダンシングそーだナイト」が繰り広げられます。
お知らせコーナー  福島市のホームページに宮畑遺跡の調査成果とじょーもぴあ宮畑の施設及び活用に関する情報を掲載しております。是非ご覧下さい。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/bunka-maizou/miyahata/index.html