〜イントロダクション
                                 
    

1979年のある日、当時高校生だった筆者は一軒のレコード屋さんを目指して猛烈にチャリンコ(自転車)を漕いでいた。買うレコードはすでに決まっている。リリースされたばかりのネイティブ・サンのデビュー・アルバム、その名もズバリ『NATIVE SON』だ。

本田 竹広のプレイは渡辺貞夫グループの演奏でよく聴いていて、とにかく力強くてハッピーなピアノという印象があったし、また峰 厚介もこの頃はすでにテナー奏者として、国内第一人者の地位を確立していた。この二人が合体してバンドを作ったのだ。きっと凄いサウンドを聴かせてくれるに違いないという確信があった。
いや、それ以上に少年のココロを激しく揺すったのは、例のあの曲である。
そう、当時マクセル(カセット・テープ)のTV−CFに使われていた「Super Safari」だ。本田さんが書いた、男のロマンをしみじみと感じさせるサンバ調のこの曲はまさにゴキゲンの一言。インパクト充分だった。
それにしても当時の高校生にとって¥3.000近いレコード代の出費というのは相当にイタイ。「Super Safari」一曲だけが「アタリ」で、残りのトラックが「スカ」だと困る。非常に困るのだ。
少年は不安と期待を胸にレコードをターンテーブルに載せた。

針を落とす前にアルバム・ジャケットをしげしげと眺めてみる。
若者というにはちょっと年上だが、かといってオジサンという年齢でもない。男盛りで髭面のミュージシャン達が、晴れ渡った青空を背に、浜辺でホースを手にして水を掛け合っている。その屈託のない表情がまたイイ。
スコーンと突き抜けたような明るさ。不良少年がそのまま大人になった感じ。「恰好良いナア」と少年は思った。
さてさて、ひと呼吸置いた少年はレコードに針を落とす。
アルバムのトップを飾るのは「Bump Crusing」という、これまた本田さんが書いた曲。
本田 竹広の強烈にドライヴするアコースティック・ピアノのイントロに導かれて、峰 厚介のテナーがゴキゲンなテーマを吹く。後に続く峰さんのソロは高らかに「ネイティブ・サン誕生」を宣言しているようでもある。ふわりと吹いてくる新しい風。。。。

「残りが"スカ"だったら」というのは、まったくの杞憂だった。数十分後、アルバム全曲を聴き終えた少年はしばし放心状態だった。
そして固く誓うのだった。「この夏は他のアルバムはいらん、このアルバムとだけ一緒に過ごそう!」と。
以後、少年がネイティブ・サンフリークとなるのにそう時間は掛からなかった。解散までの間、毎年リリースされるネイティブ・サンのアルバムに一喜一憂しながら青春を過ごさせてもらった。

そして現在、あのネイティブ・サンと出会った熱い夏の日から、二十年以上の歳月が流れた。
本田 竹広、川端 民生、大出 元信といったネイティブ・サンの中核メンバーが鬼籍に入り、ミュージシャンにとっても、またリスナーにとっても、今では「あの時代」は想い出の中でしか甦らない。


                  

今回の特別企画は伝説の和製フュージョン/ジャズ・バンド「ネイティブ・サン」の大特集をお送りする。
考えてみれば、これまで「ネイティブ・サン」をまっとうに論じた文章や記事というのはインターネットはおろか、当時の雑誌・レコードのライナー・ノーツにさえ、ほとんぼ散見されていない。
ネイティブ・サンフリークの私としてはそれが長年の悔恨時だった。もっとちゃんとしたネイティブ・サンに関する文章を残しておきたいと思ったのだ。

だから、この特集を読んでネイティブ・サンと共に青春を過ごした方は、"あの時代の気分"を思い起こしてほしいし、また若い方には昔、ネイティブ・サンというイカしたバンドがあったということを知ってほしいと強く思う。

そんな想いを込めてこのサイトを作ってみました。
ではお読み下さい。