〜もうひとりのスター誕生物語


                  本田 珠也インタビュー

本田 珠也。今では押すに押されぬ若手ナンバーワンのジャズ・ドラマーである。
いま若手と書いたが歳月が過ぎるのは早いもので彼も今では30才台後半。デビューは15才の頃というから、もう20年以上のキャリアを誇る。経歴だけ見れば、もう立派なヴェテランと言って良い。

本田 珠也のステージ・デビューは自身のホームページのプロフィールによれば「1982年、おりしも人気絶頂だった本田竹曠率いる"ネイティブサン"が『第1回斑尾ジャズフェスティバル』に出演した際、飛び入り参加したのが初舞台」ということになっている。弱冠13才の頃だ。ドラムを本格的に始めたのが小学校6年生というから、恐るべき早熟な才能を持っていたのだろう。


よく知られるように本田 珠也の実父は本田 竹広であり、叔父は渡辺 貞夫だ。こうした音楽的に恵まれた環境にいたドラム少年にとって、自らが師事する師匠の選択はいくらでも出来ただろう。
だが彼はそうはしなかった。独学の道を選んだのだ。

これは以前、珠也、ベースの杉本智和君と一緒に昼飯を食っていた時の話である。杉本君はボストン・バークリー音楽院の出身。バークリーはご存知のように日本では"ジャズ界の東大"みたいに扱われている。だが実際のバークリーはそうでもないらしい。杉本君が言う。
「バークリーに行くとね、今でもそうだけど日本人だらけですよ。でもバークリーに入学したからといって必ずしもプロになれるわけではない。せっかく入学してもすぐドロップアウトしていく人もいるし、勉強よりも実際のプロとしての演奏活動の方が忙しくなって学校に来なくなる人もいるし、ひと様々なんです」
例の如く好青年ぶりを地で行く?杉本君の言葉を聞きながら、私は本田 珠也に質問してみる。
「珠ちゃんは若い頃、バークリーに行きたいとか思ったことはなかったの?」
この質問に、いつもの如く淡々とした口調で彼は答える。
「いやあ、全然。外国に勉強に行くという発想すらなかったよ。とにかく10代の頃から毎夜毎夜、ライブハウスばかりだったから」
なるほど、そうか。この人は若い頃からライブハウスという学校に"入学"したのだ。正確に言えばプロのミュージシャンに囲まれながらライブハウスで演奏するという実戦コースに入学した。

アルコールの匂いと紫煙たなびく、狭くて薄暗いライブハウスのステージで様々なジャンルのミュージシャンとセッションをこなしつつ、誰にも頼ることなく自分の音世界を確立させていったのだ。

  


         

本田 珠也の土台を作ったのが彼が10代を過ごしたネイティブ・サン時代だというのは確かな事だろう。
このネイティブ・サンでの本田 珠也のプレイはアルバム『デイ・ブレイク』『VEER』『アグンチャ』の3作で聴くことが出来る。

これらのアルバム、かつてCD化されたらしいが残念ながら現在は廃盤らしい。でも大丈夫、その気になれば中古屋さんやYAHOOのオークションで必ず手に入るから心配ご無用だ。