〜ネイティブ・サンの活動(2):中期


ここではネイティブ・サン中期のアルバム群『SHINING』、『RESORT』、 『CARNIVAL〜Live at Montreux』、『GUMBO』について書いてみたいと思う。

初期のアルバムがジャズ的なフィーリングをまだまだ残していたのに比べて、中期のものはある意味で純粋なフュージョン・サウンド、洒落たリゾート・ミュージックといった面が強い。前期が焼酎だとしたら、中期はトロピカル・カクテルといったところか。
これを堕落とみるか、時代の流れとみるか、バンドの成熟と見るかはそれぞれ意見が分かれるところだが、筆者としてはやはり初期のサウンドが持っていたアナログ的な野暮ったさ、不良が肩で風を切って歩くような図太さといったものをもう少し持続してほしかったと正直に告白する。

こういったサウンドになったのはレコード会社の意向もあったのだと推察するが、やはり人気が出てきてミュージシャン側にもいろいろ心のゆとりが出来てきたからだろう。音楽的な冒険度はあまりなくなったものの、フュージョン・バンドとしてのベーシックなサウンドがある程度固まったがゆえに「レゲエ」や「ラテン」、あるいは「ジャズ」にと、様々なジャンルに挑戦する余裕が出来たとも考えられる。

ネイティブ・サンのサウンドに最初の変化が訪れたのは82年『SHINING』からではないだろうか。
あの頃、アルバム一曲目に収録されている村上 寛の書いたタイトル曲を一聴して「あ、ネイティブ・サン、変わった」と思ったのを覚えている。
こういう印象は当時、同じ頃にリリースされた渡辺 貞夫のアルバム『フィル・アップ・ザ・ナイト』を聴いた時もそうだった。
どういう風に変わったのか、うまく言葉で説明できないのだが、何となく肩の力がすっと抜けてサウンドがより洗練された感じといったら良いか、ハプニング度は少ないが、その分エンターティメント度は充実しているというか。

とにかく、よりソフトケイテッドされたサウンドへと変化していった、最初の予兆が『SHINING』にあったというのは確かな事だと思う。
渡辺 貞夫しかり、ネイティブ・サンしかり、今から思えば和製フュージョンも一時の爆発的なブームを終えて、この頃から音楽的な熟成の時期を迎えていたのかも知れない。


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中期一番手に登場のアルバム『SHINING』は、内容的に初期のサウンドの雰囲気がまだまだ濃厚に残ってはいるものの、やはりタイトル曲「SHINING」が異色である。
この曲はフュージョンというより、ラテン・タッチとスパニッシュのフレイバーが組み合わさったような曲で、しかもエンディングには子供たちによるコーラスまで入っている。もちろんバンド初の試みだ。こうしたタイトル曲での、他のジャンルへの挑戦は、次作『RESORT』で更に推し進められることになるのだが、こうした試みが成功しているかどうかといえば、う〜んと考えてしまう。
基本的にのんびりしたレゲエやラテン・ミュージックは、エネルギッシュなこのバンドに似つかわしくないように思えるのだ。特に子供たちによるコーラス部分など、演出過剰でちょっと違和感が残ってしまう。

ただし聴き所はある。
本田 竹広が曲作りの妙をみせる「The Strand Stomp」、これぞネイティブ・サン!というべき峰 厚介の「Go For It」(ここでの大出 元信のギター・ソロは素晴らしい)、バンド初となる大出 元信のオリジナル「Red Eye Express」は、後半部のテーマが終わった途端にテンポが倍速、本田 竹広がエキサイティングなエレピを弾く。大出 元信、大健闘。

このアルバムで惜しいのは曲の順番だ。
「The Strand Stomp」をアルバム・トップに置き、2曲目をファイト一発の「Go For It」にして、スローな「Blue Lagoon」でA面は終了、タイトル曲の「SHINING」はB面の頭に持ってきて、キメが多い「Red Eye Express」で最後に締める・・・・こういう配分だと、この作品の印象も、相当変わったものになった筈なのだが。(注:アルバムでは「Red Eye Express」のみ筆者の希望通り、ラストに配置されている)


  
続く83年『RESORT』から、レコード会社もJVCからポリドールに移籍する。
レコード会社の方も移籍第一弾ということで、相当気合が入っていたのだろう。バハマはナッソーに飛んでの海外レコーディングだ。

このアルバム、レコードで言えばA面は"アイランド・サイド"、B面は"オーシャン・サイド"に分かれていて、それぞれの雰囲気に合った曲が収録されている。これもレコード会社の強い意向かも知れない。内容は文字通りの"リゾート・ミュージック"で、前期にあったジャズのフィーリングはほとんどない。
ただし一曲だけ、強烈にジャズを感じさせる曲がある。ベースのグレッグ・リーが書いた「Nite of Limbo」が、それ。
この曲では後半、ショーターの「ネフェルティティ」のようにフロント陣は同じテーマを繰り返す。しかしテーマが繰り返される度に演奏はヒート・アップ。素晴らしいのはバックの村上 寛のドラミングである。メリハリの効いた煽るような、そして力強い飛翔感に満ちたプレイはどうだ。ネイティブ・サン史上、最もイカしたヒロシさんのドラムがここにある−といっても過言ではない。

この『RESORT』のレコーディングには、次作のライブ盤 『CARNIVAL〜Live at Montreux』、さらにスタジオ録音の『GUMBO』にも収録されている「Cool Eyes」も持ち込まれ、リハーサルまで行われた。しかしながら、「Cool Eyes」はレコーディングされずに終わり、結局お蔵入りとなる。本田 竹広が書いた 「Cool Eyes」は、いかにも彼らしいジャズのテイストを残した佳曲なのだが、やはり”アイランド”や”オーシャン”といった『RESORT』のコンセプトには、合わなかったということか。
(注:この「Cool Eyes」は、19991年のアルバム『EARTHIAN AIR』で、ピアノ・トリオによるオーソドックスなジャズ・スタイルで再演されている)

レコードB面の"オーシャン・サイド"は、ある意味では一番ネイティブ・サンらしくないサウンドと言えるかも知れない。(「Caribbean Manatee」での熱い峰 厚介のソロを除いては)
「Fantasia Carioca」なんて、なぜか今でも筆者の地元のスーパー・マーケットでよく流れていたりして。。。。スーパーでネイティブ・サンが流れているというのも妙な感じがするが、なぜか店内の雰囲気にぴったり合っていて思わず苦笑してしまうのだ。

賛否両論はあるにしてもネイティブ・サンの全アルバム中、最もリラックスして聴ける作品というのは間違いない。
ジャズを聴いたことがない女性などにはこのアルバムを入門盤にして、本田 竹広や峰 厚介の本格的なジャズ作品に触れてもらいたいとも思う。

そしてドラムスの村上 寛は、このアルバムを最後にネイティブ・サンを退団する。バンドを退団した理由について、村上 寛は多くを語っていないが「その頃のネイティブ・サンでのプレイが、楽しくなくなったから」という旨の書き込みを、なにかのBBSで読んだことがある。おそらく『RESORT』からのバンドのサウンド展開に、彼なりに違和感を感じるようになっていったのではないか。
ともあれ、ヒロシさんが抜けたことで、【本田 竹広=峰 厚介=村上 寛】という鉄壁のジャズ・トリオの一陣が崩れることとなったのは残念。
本当はヒロシさんには、もうひとふんばりしてほしかったのだが、まあいろいろな事情があったのだろう。ネイティブ・サン愛のキューピット役、御苦労様でしたーというしかない。
▲ネイティブ・サン中期のアルバム群
(左から)『SHINING』 『RESORT』 『CARNIVAL〜Live at Montreux』
『ガンボ』

お次の83年 『CARNIVAL〜Live at Montreux』は『COAST TO COAST〜native son live in USA』に続くライブ盤。しかも世界の檜舞台、モントルー・ジャズ・フェスティバルだ。
しかし残念ながらこのアルバム、ネイティブ・サンのライブ・アルバムとしてはバンドの魅力の半分も伝えていない。
原因は曲の長さにある。一曲が長過ぎるのだ。「Bay Street Talkin'」のG・リーの無意味なベース・ソロはカット、恒例のアンコールの「 Isn't She Lovely」もカットして良い。
「それでは一枚のアルバムの収録時間に満たないではないか」とおっしゃる方もいるかも知れないが、心配はご無用。このモントルー・ジャズ・フェスティバル以外にもネイティブ・サンの素晴らしい音源は腐るほどある。

このモントルーの音源をA面にして、B面はたとえばサンパウロ・ジャズ・フェスでの熱演、あるいは日本国内のジャズ・フェスからの音源をカップリングして一枚のアルバムを成立させる等、いろいろ方法はあった筈。アルバム・タイトルにも『カーニバル』とあるのだから、別にモントルーにこだわる必要は無い。ネイティブ・サンの素晴らしいライブ・パフォーマンスがもれなく収録されていれば、リスナーとして文句はないのだ。
ネイティブ・サンのライブ音源探しに苦労はいらない。特にネイティブ・サンのようなバンドは、ライブでこそ真骨頂を発揮する。それを知っているからこそ、なおさらこのライブ・アルバムの出来上がりが悔しい。

なお、この作品については私が書いたモントルー・ジャズ・フェスティバルのリポート『モントルー・ノート』の中の「私のお薦めモントルー盤〜日本のミュージシャン篇」に詳しく書いてあるので、そちらも併せて御参照下さい。
ただし、こちらの方はこのアルバムについてはかなり大甘な評価になってはいるが。


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さて、この 『CARNIVAL〜Live at Montreux』の次には、ポリドール時代の曲を集めたベスト盤『AQUA MARINE"NATIVE SON BEST"』がリリース、さらに84年には待望のスタジオ・レコーディング作『GUMBO』が発売される。
この『GUMBO』の特徴のひとつとしては、まず今までと違って、本田 竹広の書き下ろしの新曲が極端に少ない−という点が挙げられる。
収録されている「Calipso Street」「Longing」はロン・カーター、トニー・ウイリアムスのトリオで録音した77年のアルバム『ANOTHER DEPARTURE』から、また「Lazy Dream」は同トリオとのアルバム『REACHING FOR HEAVEN』からの再演だ。唯一の本田さんの新曲はタイトル曲の「GUMBO」だが、これが何とアコースティック・ピアノによるソロなのである。

注目の再演曲だが、意外にもオーソドックスなジャズ・トリオによる演奏とは、それ程印象が変わらない出来栄えとなっている。編成は違っても、原曲の良さを損なわないように、うまくフュージョン・タッチにアレンジされているからだ。
ピアノ・ソロの「GUMBO」はまさに本田さん一色の世界。雄大かつ抒情みなぎるピアノ・サウンドは『SALAAM SALAAM』(イースト・ウインド)でのタイトル曲や、渡辺 貞夫『SWISS AIR』(CBSソニー)でのソロ・ピアノを思い起こさせる。ある意味では一番ネイティブ・サンからは遠いサウンドではあるものの、当時はエレクトリックばかりやっていた本田さん、やはりたまにはこういうピアノも弾きたくなったということか。
アルバムのサウンドとしては「中期」のアルバムの中では最も骨太な作品。ある意味『RESORT』とは対極にあるといえるかも。


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このように「中期」のネイティブ・サンは「初期」とは違うサウンド展開を繰り広げていたものの、一年に一枚のアルバム・リリースというレコード会社との契約をきっちり守って、充実した活動を見せていた。

しかし、前記したように時はネイティブ・サンに限らずフュージョン・ブーム終焉の時を迎えていて、コンサートの動員数やアルバムの売れ行きも減少傾向にあった。さすがに今まで沸き立っていた音楽業界も、底冷え状態で「宴の後」の様相を呈し始めていたのだ。
いつまでも続くと思われたお祭り騒ぎにも、そろそろ終わりが来ようとしていた。

そんな中で、ネイティブ・サンにも次なる変化の兆しが訪れようとしていたのだった。


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