KOHSUKE MINE INTERVIEW(about NATIVE SON)
  
  ※この記事は1996年から2000年に掛けて当時、管理人が開設していたジャズ・ミューシャンへの
    インタビュー専門サイト『BIG APPLE ONLINE』に掲載していたものを、ネイティブ・サン関連の部分
    を再構成して転載したものです。

    峰 厚介氏へのインタビュー時期は1997年8月なので、現在とは幾分内容的に違う部分があるかも
    知れませんが、当時の雰囲気を残したいと考え、そのまま掲載しています。
                  
          
  

  ネイティブ・サンは本田君のグループに僕が
加わった、という感じのバンドだったね。

・・・峰さんは73年に渡米して75年に帰国、その後すぐに自分のバンドを結成して78年  にあの伝説のフュージョン・グループ「ネイティブ・サン」を結成されるわけですが。

 あのネイティブ・サンは本田君(本田竹広)のグループに僕が加わったーという感じ
   でね。結成されたいきさつっていうのは、さっきの話で出た村上寛がたまたま同じ
  時期に僕のバンドと本田君のバンドでやってて、ベースのバタ(川端民生)とギター
   の大出も本田君のグループでやってて・・・。それでヒロシが「みんな同じ事考えて
  いるんだったら、どう、一緒にやっちゃえば」みたいな話になって。それで僕がある日、
   本田君の所に遊びに行って一緒にプレイしたら凄く良かったんで、それで決めたの。


・・・やはり村上さんがネイティブ・サン結成の言い出しっぺなのですね。本人もそう仰ってましたが。
   ネイティブ・サンは商業的にも大変成功されたわけですが、当時はこんなに売れると思って
   ましたか?

 いや、全然。(きっぱりと)

・・・でも村上さんは「これは絶対イケル!」と思ったそうですが。

 僕は全然、そんな・・・。考えてなかったです。

・・・でも、テレビのCMに出たりしてあのブームは凄かったですよね。例の駅のプラットフォームに
   立って演奏するコマーシャルとか。

 あ〜、そうねえ。(含み笑い)

・・・(感慨に浸りつつ) あれからもう20年以上経っちゃたんですねえ。あの 、峰さんは最近
   ソプラノ・サックスの方は吹かれているんですか ? ネイティブ・サンの頃はかなり吹かれ
   てましたけど。

 最近はあんまり吹いてないですね。最近のレコーディングでは一曲吹きましたけど。
   でもこれからは、まあ分かんないです。「包丁一本、サラシに巻いて〜」(口ずさみ
   つつ )です・・・ハハハ。


・・・その包丁一本、峰さんのテナー・サックスについてお話くださいませ。

 僕のサックスはまあ、凄く古いよね。何か向こう(アメリカ)では貴重になっているらし
   いけど。もう作ってないらしいんだよね。自分の好みでマウスピースはメタルばっか。


・・・何年位、使ってるんですか?

 18年位かなあ。ネイティブ・サンのレコーディングであちらに行ったとき仕入れたの。
   その頃、吹いてたヤツも大体同じような年代のものだったんで、もう一本ほしくなって
   ニューヨークで捜してね。買ったの。


・・・ネイティブ・サンのレコーディングといいますと、どのアルバムですか?

 あれはねえ、3枚目のアルバムかな。

・・・というと2枚組のライブ盤『コースト・トウ・コースト〜Native Son Live in USA』ですね。

 う〜ん、そうかも知れない。

・・・今日はどうもありがとうございました。

●日時:1997年8月 青森県弘前市にて