〜 闘病生活 〔1〕 生と死の淵をさまよって 〜



95年の『ブギ−・ブガ・ブ−』のレコーディングのちょっと前くらいかなあ、軽い脳梗塞
を起こしてね。でも経過も良くて、後遺症もそれほどひどくなかった。それを良いことに、
またオレ、無茶しちゃったんだよね。調子込んじゃったっていうか...。
元々オレは体育系でさ、体力には自信があったからね。若い頃から暴飲暴食してた
し、シンドイ生活もしてたから、まあ自業自得と言えないこともないんだけど...。

それで97年の夏、ある日血圧が上がってプッツンと切れちゃった。倒れた時は全然
分からなくてね。4〜5日して気が付いてみると、看護婦さんがいる部屋に寝かされ
てた。

脳梗塞で倒れた瞬間の事を、本田さんは次のように語っている。
「茶色とも灰色ともつかないような、無色のような、色があるんだけど無色のよう
な、無味無臭なんだけど、どこをどう見てもその色がかぶっているような...。し
ばらくすると、逆に色が天然色みたいになってラスタ・カラーみたいな花火がパッ
パッと突然飛んでくるようになったんだ。カラフルなビースみたいな光が宇宙から反
射されているようにピカッと光っている。すごい光景で、今でも鮮明に覚えている
よ」 (ジャズライフ誌のインタビューより)

その時は「あ〜、またやっちゃったナア」くらいにしか思わなかったんだけど、すぐに歩く
ことも出来ないし、口もよくきけないし首も動かない。さすがに「こりゃ、今までとは違うぞ」
っていうのが段々分かってきた。
後で分かったことなんだけど、その頃は医者も「ピアニストとしての復帰はおろか、社会
生活への復帰さえ難しいかも知れない」って周囲に漏らしていたらしい。
状況的にはかなりシビアだったよね。

ダメになったのは左半身で、全然言うことをきいてくれない。左手も握力はあるもの
の細かい動きがまったく出来なくなってしまった。それで食事の時に動かない手の方
で箸を持ったり、スプーンを持ったりと練習したんだよ。今でも少し左半身は後遺症
が残っているけどね。

でもさ、珠也が見舞いに来た時に「オレは絶対治るから、また一緒にやろうな!」って
言ったのは覚えている。
まだちゃんとしゃべれてはいない状態だったとは思うけどね。(笑)



(以下、本田 竹広インタビュー 〜 闘病生活 〔2〕 奇跡の復活 〜 に続く)

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