〜 遙かなるアフリカ 〜


オレが小学校に入る前にさ、宮古(本田さんの出身地)の映画館で初めて見た
「ターザン」の映画、これが忘れられなくってね。特にサウンド・トラックっていうの?
あのバックに流れる音楽のリズムがさ、凄く印象に残っている。
コンガをパンパカパ−ンって叩く、あの躍動的なリズム...あのリズムがさ、
小さい頃のオレの”何か”を目覚めさせてくれたんだよね。「凄いっ!」って思った
もん。「自分の身体に流れているものと同じだ」っていう感じがしたもんね。

あの日からオレもアフリカの映画とか民族的なインドの映画、あるいはスペインの
映画とか見るようになった。もちろん小学生だから、意味はよく分からなかっただ
ろうけど。
だから大人になってから、初めてネイティブ・サンの仕事でアフリカに行った時は、
ホント、うれしかった。

振り返ってみるとオレの中には、そういったアフリカ志向みたいなものは潜在的に
あったんだろうね。そんな小さい頃の原体験が、その後の渡辺 貞夫バンドでの
演奏や(注:本田さんがナベサダ・バンドに在籍していた70年代は、貞夫さんが
最もアフリカン・ジャズに傾注していた時期でもある)、ネイティブ・サン、あるいは
現在のアフリンバといった活動につながっていると思う。

(以下、本田 竹広インタビュー 〜 ネイティブ・サンの時代 〜 に続く)

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