〜ネイティブ・サンの復活ライブ


1999年春、筆者の元にひとつの朗報が届く。
どうやらネイティブ・サンが本格的に動くらしい。場所はネイティブ・サン発祥の地ともいえる高円寺・ジロキチ。
1999年6月30日、このライブは「本田竹広サンバ・セッション」のタイトルで行われる。メンバーは本田 竹広、峰 厚介、福村 博、大出元信(g)、グレッグ・リー(b)、本田 珠也(ds)、それにダミオン(Per)という面々。新旧のネイティブ・サンのメンバーばかりである。
地方に住む私に高円寺まで行くのは無理だったが、このライブ、知り合いに頼んでこっそりとMDに録音して送ってもらった。
聴いてみると、ファースト・セットこそ当時、本田 竹広が率いていた「アフリンバ」のような演奏内容だが、セカンド・セットからは、ほとんどネイティブ・サンのレパートリーばかり。「Wind Surfing」「Whispering Eyes」「SAVANNA HOT-LINE」と続いて必殺の「Super Safari」が登場するという豪華さ。
「Super Safari」のイントロが流れた時の、店内に湧き上がるお客さんのどよめきと反応のもの凄いこと。MDの音も割れっぱなし状態。やはりお客さんもこれに期待して聴きに行ったのだ。

そしてこの「サンバ・セッション」の約一ヶ月半後の同年8月11日、正式なネイティブ・サンの復活ライブが、やはりジロキチで行われた。メンバーは本田 竹広、峰 厚介、福村 博、大出 元信(g)、川端 民生(b)、村上 寛(ds)とオリジナル・メンバーの揃い踏み。
この時は私も矢も立っていられず、上京して聴きに行った。
いやはや演奏の熱い事。"あの時代"の雰囲気がふわりと甦ってくる。復帰したばかりで体調が心配だった本田 竹広も、迫力満点のピアノ・プレイを聴かせてくれて、筆者もほっと一安心。

次いで2000年2月13日に再びジロキチでネイティブ・サンのライブ。
この時はドラムのみ村上 寛から本田 珠也にチェンジ。この他、当夜ジロキチに遊びに来ていた宮本 典子(vo)が加わって、楽しいネイティブ・サン・セッションとなった。(本田 竹広と宮本典子は以前、"本田 竹広&ブレイクアウト"というバンドで一緒に活動していた時期がある。このバンドについてはネイティブ・サン Ver2.0に詳細があるので、ご参照を)

そしてネイティブ・サンのオリジナル・メンバーだったベースの川端 民生にとっては、これがネイティブ・サン最後のステージとなる。残念なことに、この約半年後、バタヤンは帰らぬ人となってしまうのだ。

▲2000年2月、ネイティブ・サンのライブを終えたジロキチ控え室での峰 厚介と川端 民生。
 この半年後、バタヤンは病気で亡くなってしまった。
        
2000年9月27日、復活3回目になるネイティブ・サンのライブは亡きバタヤンの代わりに米木康志が参加、珠也のドラムスと共に後期ネイティブ・サンのリズム・セクションが花を添えた。
この時のライブにはこんな思い出がある。このライブのちょっと前、「こんなネイティブ・サンの曲を聴きたいんですけど」と本田 竹広のマネージャーにファックスを送ったのだが、なんと当夜演奏された曲は、私がリクエストしたそのまんまのプログラムだった。
参考までにセット・リストは以下の通り。

第一部:1.Bump Crusing 2.Wind Jammer 3.Whispering Eyes 4.Wind Surfing 5.Savanna Hot-Line 

第二部:1.Autumn Dreams 2.Bay Street Talkin' 3.DAY BREAK 4.Animal Market 5.Super Safari 
<アンコール>:Damiao:Birthday song〜 Isn't She Lovely


そして2004年9月の盛岡での「ネイティブ・サン・ワン・ナイト・スタンド」、2005年「CROSSOVER JAPAN '05 」での出演(ただし演奏は4曲のみ、出演時間も30分だけ)、そして2005年8月のジロキチでのネイティブ・サンセッション(この時は本田 竹広が体調不良のため、ピアノは吉澤 はじめが代理出演)と続く。

さて長々と書いてきたが、本田 竹広が病魔から回復して以降、その死まで、ネイティブ・サンとして活動してきた全データが、以上の記録である。

そして、ネイティブ・サンの実質的なリーダーだった本田 竹広が2006年に亡くなり、バンドは永遠にその幕を閉じる。
と同時に「ネイティブ・サンを地元に呼ぼう」から始まった、私の「追っかけ」も終わった。