〜検証:ネイティブ・サン(7) 総論・まとめとして〜


■ヌードになったジャズ・ミュージシャン■

さて、長々と書き連ねた「検証:Native Son」ではあるが、この最終章でまとめに入ってみよう。
これまでの各章を読み返してみて、筆者がひとつだけ思うことがある。
それは各章に書かれている内容がネイティブ・サンではなく、本田 竹広というジャズ・ミュージシャンに多くの部分が割かれているという点だ。

では本田 竹広とは、どんな人物だったのだろう。
それについては彼が残したアルバムや、周囲に関わった人たちの話を聞くまでもなく、一枚の写真が全てを物語っているように思われる。

その写真とは『浄土』と題された1970年のリーダー・アルバムのジャケットである。
このジャケットで、本田 竹広はヌードになっているのだ。日本中の、いや、世界中のジャズ・ミュージシャンのなかで、アルバム・ジャケットに自らのヌードを使用した−というのは本田 竹広くらいのものだろう。
それが良い悪いという話は別として、そうした発想自体が、いかにも彼らしいのである。

本田 竹広をよく知る人たちは「アイツは大変なヤツだったけれど」と必ず前置きしながらも、しかし彼との愉快な交友のエピソードを楽しそうに、懐かしみながら話す。どこか憎めない、愛すべきキャラクターを持ち合わせた人物−それが本田 竹広だった。

本田 竹広が亡くなったとき、夫人の本田チコが「本田 竹広という男は、私の人生に大きな大きな台風を巻き起こして去っていきました。もう彼のようなジャズ・ピアニストは現れないでしょう」と語っていた。
その「台風を巻き起こした男」は、このヌード写真が撮影された生まれ故郷の宮古市・浄土が浜にほど遠い、某所のお墓で今もこんこんと永遠の眠りについている。


▲本田 竹広(本田 竹彦)『浄土』

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■ネイティブ・サン、その第二の青春■

言い換えればネイティブ・サンというバンドの結成から解散までのドラマは、ヌードになった本田 竹広が、様々な洋服を着た後に、その洋服を一枚一枚脱いで最後には裸一貫に戻った、その過程を描いたものといって良いのではないだろうか。
つまりはこういうことだ。
ジャズを志した本田 竹広は『浄土』のアルバム・ジャケットにあるような長髪とヒゲをたくわえたヌード姿から、それに似合う服を探し始める。まずフュージョンという下着を穿いた。それがネイティブ・サンだ。その下着のうえにサンバ/ボサノバというシャツを着て、レゲエ/ポップスというジャケットを羽織った。しかし本人は遂に満足することはなく、再び全ての洋服を脱ぎ始め、遂に下着まで捨て去って裸一貫に戻り、ジャズの世界へ帰っていった−。

晩年、本田 竹広は「ネイティブ・サン時代は第二の青春だった」と語っているが、青春には常に光とともに影が伴う。その第二の青春の日陰の部分に思いを馳せつつ、彼のネイティブ・サンでの悪戦苦闘を振り返ってみれば、「きっとツラいことも多かっただろうな」と筆者は俯いてしまうのだ。

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■ネイティブ・サンの遺したドラマ■

本企画で何度も書かれてあることだが、ネイティブ・サンが誕生した背景には、1970年代後半から1980年代初めまで、当時日本中に吹き荒れたフュージョン・ブームがあった。このフュージョン・ブームはファン、リスナーにとってはごく自然なものとして受け入れられていたが、このお祭り騒ぎは実はレコード会社を始めとした業界の人々による、ビジネス・ライクな思惑と緻密な計算のもとに仕掛けられていたものだった。

あの頃は、そうした業界の方向性の下、まさに百花繚乱の如く様々なフュージョン・バンドが誕生したが、当初はネイティブ・サンも、そんなブームを彩るコマのひとつに過ぎなかった。
だが、業界のネイティブ・サンに掛ける期待は、他のどんなフュージョン・グループよりも大きかった。あの本田 竹広や峰 厚介、村上 寛ら日本のトップ・ミュージシャンが集合して結成されたフュージョン・バンドなのだ。業界も「長い間、儲けさせてくれるに違いない」という彼らなりの読みはあっただろう。

筆者が痛快に思うのは、ネイティブ・サンがそうした業界の思惑と期待を、無視するように裏切り続けたという点だ。
デビューから活動初期にかけては業界の思惑通り、お利口さんを装ってブームに華を添えた。しかし、次第にバンドのサウンド・コンセプトに支障をきたすほど他の音楽ジャンルに嵌まり込み、酒に惑溺し、アルバム・セールスも落ち込み、遂には解散のような、そうではないような中途半端なかたちで活動を終えてしまう−。

ネイティブ・サンの歴史は明と暗のコントラストに満ち、そこにジャズ出身者ならではの強烈なドラマ性を感じさせる。
こんな型破りなバンド、良くも悪しくも他にあっただろうか。

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■ネイティブ・サン再聴のすすめ■

この「検証:Native Son」を読み終えた方は、ぜひネイティブ・サンのアルバムを再聴していただければと思う。きっと今まで感じなかった、様々なことに気付かされることだろう。
ネイティブ・サンの数々のアルバムは、本田 竹広が亡くなった2007年にほとんどの作品が再発されて、今でも容易に手に入る。
しかし経済的に全ての作品を購入するのは無理、という方もいるだろう。そういう方には、ネットでのオークションや中古レコード屋での購入をお薦めする。ネイティブ・サンの中古盤はアナログ・レコードで数百円、CDでも千円前後の価格が表示されているはずだ。
日本が生んだ最も良質なフュージョン・ミュージックが、中古盤とはいえ、この値段で手に入るのだからお安いものだ。

さて、ネイティブ・サンへの思いを胸に、筆者もここで筆を置かせていただく。


  〜成功の甘き香り〜へ続く