〜ネイティブ・サン 最後のステージ(2)〜



■あるひとつの依頼■

あれは2005年の春、桜便りがそろそろ関東地区から届きそうな頃だろうか。峰 厚介のマネージャー氏から、当方に電話が掛かってきた。用件はこうだ。
「ここのところ、毎年開催されている『CROSSOVER JAPAN』というイベントに、ネイティブ・サンの出演が決定した。開催日は6月4日、場所は国立代々木競技場第1体育館の特設ステージ。ついてはサウンド・セッティングのスタッフ用に、ネイティブ・サンの音源が必要になった。すでに演奏曲目は「Savanna Hot Line」「Cool Eyes」「Animal Market」「Super Safari」の4曲に決まっている。ネイティブ・サンのアルバムから、これらの曲をセレクトしてMDでもCD-R、どちらでも良いからダビングして、こちらまで送ってほしい」。。。。

どうやら筆者がネイティブ・サン・フリークであることを知っていらっしゃるマネージャー氏が、それを見込んで当方に依頼されたらしい。もちろんネイティブ・サンのアルバムは全て揃っているから、筆者がふたつ返事で快諾したのはいうまでもない。

そして、これが筆者の厚かましいというか、軽薄なところなのだが、電話の最後で思わずこう言ってしまったのだ。
「あの、可能ならばの話なのですが、もし良かったら、その『CROSSOVER JAPAN』でのネイティブ・サンの演奏を収めた音源、都合のいい時にでも後日、MDで送って頂けませんか」
マネージャー氏としては当方への御礼の意味もあったのだろう、筆者のお願いを快く引き受けて頂き、電話での話は終わった。

筆者は「ネイティブ・サンのライブ音源が、もうひとつ手に入る」といううれしさに心が躍った。もちろん、この時点では『CROSSOVER JAPAN』のステージが録画されて後日、DVDとして発売される計画があるということは、まったく知らなかったから「ネイティブ・サンの貴重な音源をゲット」という現実を前に、筆者はひとり顔をニンマリとさせるのだった。


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■リスニング・ルームのアクシデント■

さてさて、イベントまではあまり時間がないから、さっそくダビングして送って差し上げよう。
オーディオ装置が置いてある部屋に、すたすたと向かった筆者はステレオを前にして、ひとつの現実に愕然としたのである。

そう、ネイティブ・サンのアルバムは全作揃ってはいたものの、それはCDではなく、全てアナログのレコードだったのだ。
しかも不幸なことにその頃、筆者はレコードをほとんど聴いていない時期だったから、レコード・プレイヤーはあったものの、音を再生する適当なレコード針を用意していなかった。当たり前の話だが、この針がないとダビングどころか、音の再生さえ出来ない。

筆者はあっと思い出して、ずっとむかし部屋の箪笥の奥深くに放り込んだ記憶があるモノを探し出し始めた。それは何年も前に針先が擦り減って「こりゃ、もう使いものにならないな」と捨てようと思っていたMM用のレコード針だった。よくやく、このレコード針を見つけた筆者は、急いでプレーヤーのトーンアームにセッティングする。
このレコード針の先端をしげしげと見てみると予想通り、針先はすっかり丸くなっていてなんとも微妙な状態だった。針をレコードに落とした瞬間、溝はさらに擦り切れて、盤面自体が損傷しかねない有様だ。
「なんとか、音が出ますように!」−。筆者は祈るように、おもむろにネイティブ・サンのアルバム・ジャケットからレコードを出して、ターンテーブルに乗せようとした。

そして、その時、再び愕然とするのである。
思えばネイティブ・サンのレコードは、かつて文字通り、擦り切れるほど聴いていたから、これらの盤面はところどころ小傷だらけ、しかもプチプチというスクラッチ・ノイズがひどい。曲によっては針飛び寸前のものまである。
二重のトラブルを前に、さっきまでのはしゃいだ気分は薄れ、筆者の脳裏には急に暗雲が立ちこみはじめる。
思えば、この時点でマネージャー氏には事情を説明して「音源は送れません」と、ギブアップしていれば良かったのだ。しかしながら「ネイティブ・サンの貴重な音源が手に入る」という魔の誘惑が、筆者を押し止めた。「どうせサウンド・チェック用だから、音質は悪くても、まあ、構わないのではなかろうか」という安易な気持ちも一方ではあった。

おそるおそるレコードをターンテーブルに乗せ、針を下ろす。
スピーカーから出てきた音は、やはり想像通りひどいものだった。音質が良い悪いの問題ではない。アンプとレコード針とのマッチングもあったのだろうが、音圧レベルが低すぎてボリュームを最大にしなければ、どうにも鑑賞に堪えられないというシロモノ。これには参った。
だが、擦り切れた針と擦り減ったレコード、この「擦り切れもの同士」のコンビは、とにかく一生懸命に音を出そうと必死で動いている。何とかしなければと思った。

そこで筆者は一計を案じる。幸運にも筆者はMDレコーダーを2台所持していたから、まず最初に音圧レベルの低いアナログ・レコードからMDにダビングする。さらにそのMDを音圧レベルを上げた状態で、もう一台のMDプレーヤーで再びダビングするーという作戦である。
音圧レベルを上げると、演奏と一緒にノイズも拡大して録音してしまうから、音質はさらに悪くなるのだが、もうその方法しか残されていないようだった。
かくして【アナログ・レコード→MD→MD】と再三ダビングを繰り返した、「サウンド・チェック用MD」が出来上がった。聴き直してみるとスクラッチ・ノイズは満載、音質は最低という、がちゃ音源である。『CROSSOVER JAPAN』という一大イベントを、フォローする代物となっていないのは明らかだった。

このMDをそのまま相手に郵送していいものかどうかは、かなり迷ったが、ここで再び「ネイティブ・サンの音源入手」の下心が筆者を動かす。結局そのまま郵便ポストにMDを入れて郵送してしまった。


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■『CROSSOVER JAPAN』に関する心残り■

『CROSSOVER JAPAN』が終わって数日が経ち、この日のネイティブ・サンの演奏を収録した音源が、マネージャー氏から送られてきた。それはサウンド・ボードから録音された素晴らしい音質のものだった。筆者はマネージャー氏からの依頼に「完全に応えた」わけではなかったが、マネージャー氏は律儀な方だから、筆者との約束をきっちりと守ったというわけだ。

それにしても、筆者が郵送したあのMDは、その後どうなったのだろう。
イベントのサウンド・スタッフに配布されて、いくらかでも『CROSSOVER JAPAN』をフォローするモノとして使用されたのだろうか。詳しいことは筆者にも分からない。
いや、常識的に考えれば、それはなかったとみるべきだ。『CROSSOVER JAPAN』という大掛かりなイベントに配置された百戦錬磨のスタッフたちが、あんなモノに耳を通してセッティングの参考にしたとは、どうしても考えにくい。

それに出演したネイティブ・サンのメンバーにとっても、あのMD音源に収められたアルバム曲は、これまで散々演奏してきた曲ばかりだったから、これも不必要だったろう。

だから、『CROSSOVER JAPAN』でのネイティブ・サンの不調が、もしかしたら筆者が送った、あのMDのせいではないか−と考えたり、レコードの演奏をなぞったようなライブになってしまったのも筆者の責任―などと思ったりするのは、これまた笑止な話かも知れない。筆者の勝手な思い込み、まったくの杞憂に過ぎないだろう。

だが、しかし、ネイティブ・サンのリーダー本田 竹広が翌年に亡くなり、この『CROSSOVER JAPAN'05』がバンドの最後のステージになるなどと、この時点ではまったく予想していなかったとはいえ、やはり万全の準備を重ねて、ちゃんとした音源を送り、このイベントのフォローをしてあげたかった−という筆者の心残りは、いまでも根強くある。


  以下、〜ネイティブ・サン 最後のステージ(3)〜へ続く