〜大出 元信 〜
■結成から解散まで在団した唯一のオリジナル・メンバー■
ここでは川端 民生と並んで、ネイティブ・サン陰の功労者である大出
元信について、述べてみたい。
大出元信はネイティブ・サンの実質的なリーダー本田
竹広と共に、結成から解散までバンドに在団した唯一のメンバーである。
大出 元信のギタリストとしての特徴については、楽器を操る趣味を持たない筆者の幼い論考を読むまでもなく、同じジャズ・ギタリストの廣木 光一 オフィシャル・サイトに掲載されている「追悼:ギタリスト 大出 元信<不世出の天才リズム・ギタリスト」に詳しく書かれているので、そちらを参照して頂きたい。
ただひとつだけいえるのは、本田 竹広のフェンダー&クラビネット、そして大出
元信のリズム・カッティングこそが、ネイティブ・サンのサウンド上の生命線であり、逆にいえばこのどちらかが欠ければ、バンドのサウンドは成立しなかったということだ。
それは「アガルタ」「パンゲア」時代のマイルスのワウワウ・トランペットと、レジー・ルーカスのギターの関係に類似しているとさえいえる。
本田 竹広がネイティブ・サンの活動のなかで、最後まで大出
元信を手放さなかった理由も、この抜群のリズム・カッティングがあったからだろう。
ただ、筆者が大出 元信について考えるとき、その素晴らしいリズム・センス以上に気になる点がある。
それは彼のギター・ソロについて、だ。
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■謎のギタリスト■
筆者にとって大出 元信は、謎の部分が多いギタリストである。
まずネイティブ・サン加入までの経緯が、よく分からない。廣木 光一オフィシャル・サイトによれば、古澤 良治郎バンドに加入して間もない大出
元信を、本田 竹広がネイティブ・サン結成にあたって、彼に声を掛けて加入が決定した−と書かれている。
それでは本田 竹広は、どうやって大出 元信の存在を知ったのだろう。ネイティブ・サン結成前の本田
竹広と大出 元信との接点というものが、特に見当たらないのだ。
そこの事情については、もしかしたらネイティブ・サン発祥の地、高円寺のライブハウス「JIROKICHI」の荒井ABO誠マスターがよくご存知かも知れないが、残念ながら彼は20011年4月7日に亡くなってしまった。
もうひとつの謎は何故、大出 元信は生前、リーダー・アルバムを一枚も遺さなかったのか−という点だ。
かりにも栄えあるネイティブ・サンのギタリストである。リーダー・アルバムのレコーディングの話は、レコード会社から何度もオファーがあったはず。しかし、遂に彼はその依頼に首を縦に振らなかった。
ネイティブ・サンでは何曲か、大出 元信もオリジナル曲を提供しているから、一枚のアルバムを作るだけの実力が彼になかったというわけではないだろう。
そして、これこそ筆者が一番不思議に思う大出
元信、最大の謎なのだが、ネイティブ・サンのアルバムに収録されているギター・スタイルと、一方のネイティブ・サンのライブで披露する彼のギター・スタイルが、あまりにも違い過ぎる−という点である。
ネイティブ・サンのアルバムで聴かれる大出
元信のギター・ソロは、ある意味で正統的なフュージョン・ギターのスタイルに終始している。突飛なフレーズもないし、ギターもよく歌っている。
ところがライブでのステージでは、これ、なんと書いて良いのだろう、フレーズがブツブツと途切れて、音使いも少なく、エンジンの掛かりが悪いというか、なんとも不器用なソロなのである。
あるライブでは大出 元信のギター・ソロに入っても、彼が10秒以上なにも音を出さないから、傍にいた本田 竹広がピアノで「早くギターを弾け」と促したこともある。やる気があるのかないのか、とにかくアルバムでの印象とあまりにかけ離れていて、面を食らうことが多かった。
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■アルバムとライブで異なる、そのギター・スタイル■
筆者は残念ながら、初期ネイティブ・サンのライブに接したことは一度もない。
しかし、当時のネイティブ・サンのライブの思い出を語る人たちは、いまでも「本田
竹広のソロが」、「峰 厚介が」と言うよりも、まず先に冒頭一番、「大出
元信はクセのあるギターでねえ」と話す。筆者はこの時点では、ライブでの大出
元信のギターがどういうものなのかは、よく理解出来なかったが、後年ネイティブ・サンの同窓会ライブで初めて大出
元信のソロに触れて、やっと彼らの言い分がよく分かった。確かに「クセのある独特なギター・スタイル」だったからだ。
しかしながら不思議と、ネイティブ・サンのライブに詰め掛けた観客からは「大出
元信をクビにして、別なギタリストに換えろ」という文句はほとんど出なかった。むしろ「おもしろいことをやっている」という肯定派が多かったようだ。
それはネイティブ・サンのライブを聴きに来る観客が「アルバムと同じような演奏」ではなく、逆に「アルバムとは違った、アドリブがたくさん盛り込まれた演奏」を期待していたためであり、そして何よりも大出
元信のギターが、たとえアルバムとは印象が違っても、ステージ上で「熱いソロ」を繰り広げていることに、変わりがなかったからに他ならない。
少し乱暴な書き方かも知れないが、筆者が大出 元信のギター・プレイから受ける印象は、ジョン・スコフィールドの「変則フレーズ」とソニー・シャーロックの「下手ウマ」、そしてリー・リトナーの「ポップな軽さ」とラリー・カールトンの「ブルース系フュージョン」を足して4で割ったような−というようなものだ。かなり複雑ではある。
いや、むしろこう書いた方が正確かも知れない。
パット・メセニーのように「誰にでも愛されるギター」や、フランク・ギャンバレのような「超絶テクニック派」と、まったく正反対に位置するギタリスト−。
そして、そうした彼独特のギターに対するスタンスは、大出
元信が意識的にもたらしたものではなく、「自分はソロリストとしてよりは、バンドを支えるリズムマンに徹する」という、ギタリストとしての頑固なポリシーがあったからだろう。
また生涯に渡ってリーダー・アルバムを、とうとう一枚も遺さなかったというのも、奥ゆかしく万事に控えめな大出
元信の性格を思えば、やぶさかではないように思える。
彼も川端 民生と同じように、ミュージシャンとしては「表街道」よりも「裏街道」を選んだ男だったからだ。
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■大出 元信、畢生の名演ギター・ソロとは■
ところで大出 元信を語るとき、もうひとつ出てくる言葉が「アイツはギター・ソロが下手だった」というものだ。
果たして本当に、大出 元信はギターのソロが下手だったのか。ギターを満足に弾いたことがない筆者には、よく分からないところではある。
だが、この「ギターが下手」という説が出てくる原因は、もしかしたらひとつの曲がもたらしたものではないだろうか。「Savanna
Hot-Line」での、大出 元信のソロである。
この『SAVANNA HOT-LINE』がリリースされた頃、ギターを弾くのが趣味という同級生が大出
元信のソロを聴いて、こう言ったものだ。「あんなソロ、誰にでも弾けるぜ」−。因みに、彼は渡辺
香津美のフリークである。私はこう突っ返した。「じゃあ、お前さん、大出
元信のようなソロを弾いてみなよ」。
これが原因かどうかは分からないが、その後は彼とは疎遠になり、今でもまったく付き合いはない。
この「あんなソロ、誰にでも弾けるぜ」の同級生、及び大出
元信を勘違いして評価しているギター・フリークに対して、筆者は真っ向から反発したい。
ネイティブ・サンにおける大出
元信、畢生の名演ギター・ソロは『COAST
TO COAST"Native Son Live
in USA"』に収録されている「Savanna
Hot-Line」である、と。
この5分以上にわたるギターによる熱いロング・ソロを聴いてほしい。巧い下手とか、テクニックうんぬんのレベルを超えた、ギタリストのバイブレーションが直に伝わってきそうな、素晴らしい演奏である。
ここでの大出 元信の演奏の格好良さ、それは日本の、いや世界中のフュージョン・ミュージックのギター・ソロのなかでも、間違いなくベスト10に入るものだと筆者は断言する。
このロング・ソロを聴いて痺れない人は、残念ながらネイティブ・サン、いやフュージョンを聴くセンスが乏しい方なのかも−とさえ、思ってしまう。
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■本田 竹広による愛のムチ■
ところで、大出 元信はネイティブ・サンのリハーサルなどでは、本当によく本田 竹広に叱られていた。厳しいプロの現場とはいえ、あのダミ声でまともに怒声を浴びせられるのだから、少し気の毒である。
最も本田 竹広は大出 元信だけではなく、一緒に演奏する若い後輩ミュージシャンをよく叱った。叱るだけではなく、興奮すると手元にあるハンカチやマッチ箱なども容赦なく投げつけた。
昔、地元で本田 竹広トリオのライブを開催した時、バックを務めた某若手ドラマーが「リハーサルでは本田さん、物凄い勢いで僕らを叱りますから、あまりビックリしないで下さいね」と、わざわざ念を押されたものだ。
共演する若手ミュージシャンへの、本田 竹広の「愛のムチ」は、まさに日常茶飯事のように行われていた。
このように若い後輩たちには容赦なく、指導という名の「愛のムチ」を振るった本田
竹広だが、反面、自分よりも目上の先輩ミュージシャンに対しては、「何もそこまで」と傍でみて感じるほど、気遣いと心配りをする人だった。
こういうところは、いかにも体育系らしい本田さんだな、と思う。
あの修羅場のようなリハーサルを思い出すたび、本田
竹広や大出 元信は、すでにこの世にはいないのだ−という事実に、月日の流れの早さを感じてしまう。
以下、〜ネイティブ・サン 最後のステージ(1)〜へ続く
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