〜ネイティブ・サンの活動(1):前期〜


さて、本企画ではネイティブ・サンの結成から解散までの9年間の歴史を、「前期」「中期」「後期」と、それぞれ分けて解説してみたい。どこまでが「前期」で、どこまでが「後期」とするかは人それぞれ意見が分かれるところだが、本企画では筆者の独断と偏見により、デビュー・アルバム『NATIVE SON』、『Savanna Hot-Line』、『COAST TO COAST〜native son live in USA』を前期、『SHINING』、『RESORT』、『CARNIVAL〜live in montreux』、『GUMBO』を中期、『DAY BREAK』、『VEER』、『AGUNCHA』を後期とする。なぜそういうわけ方をしたかという理由については、各稿で述べる。

ここではネイティブ・サンの「前期」の活動について書いてみよう。
先に述べたように、日本中を挙げてのフュージョン・ブームを背景にしてデビューしたネイティブ・サンだが、このバンドには他のフュージョン・バンドにはない特徴があった。
それは主要メンバーが純粋なジャズ・フィールドの人たちばかりだったという点、そしてそれぞれがすでにヴェテランといっていい、すでにある程度の地位を確立していたミュージシャン達だったという事。
それは当時、ネイティブ・サンのライバルと目されていたフュージョン・バンド「ザ・スクエア」や「カシオペア」と比較すれば、一目瞭然だ。両バンド共、大学生バンドがそのままプロ・デビューして人気者になっていったという経緯がある。
最も当時は、大学生フュージョン・バンドがプロになるというのは、国内外でもそれ程珍しいことではなかった。スパイロ・ジャイラなどその典型だろう。聴き手が若いから演奏する方も若いというのは、当然の成り行きだったかも知れない。

ともあれ、ネイティブ・サンはそんな大学生バンドとは違ってキャリアの面からいっても、結成された時点で、もうすでに「出来上がっている大人のバンド」だった。
そして基本的に「フュージョン・バンド」というよりは「ジャズ/フュージョン・バンド」だったのだ。


筆者は残念ながら当時のネイティブ・サンのライブを見たことはないのだが、よく追っかけをしてライブに行った連中の話を聞くと「ネイティブ・サンは毎回、同じ曲をライブでやっても全然違う。レコードに入っている曲もライブでは毎回雰囲気が違って、同じ曲に聴こえなかった」という話をよく聞いたものだ。

1978年、『Savanna Hot-Line』がリリースされる少し前に、ネイティブ・サンは今でも続いているNHK-FM番組「セッション」に出演した。番組が始まって司会者が「これから演奏する曲は、全て名前もまだ決まっていない新曲ばかりです」と話す。曲には「♯ナンバー2」とか「♭何とか」という仮タイトルが付けられていたが、アルバム『Savanna Hot-Line』がリリースされて、どんな曲が演奏されたか、ある程度分かった。
このエアチェック・テープは今はもう持っていないが、当時擦り切れるほど聴いていたから、どんな演奏だったかはおぼろげに記憶している。演奏されたのは、確か「Animal Market」「In Search Of Beauty」「Farewell, My Love」「Sexy Lady」だったと思う。
とにかく、アルバムとはまったく違ったアレンジがされていて、同じ曲とは思えなかった。
特に「Animal Market」(この曲は峰 厚介の「サン・シャワー」が元曲である。この曲についてはエピソードがあるので、別稿「アニマル・マーケットの謎」で詳しく述べてみたい)は、アレンジがレコード収録のものとは曲のテンポもアプローチの仕方もまったく違っていた。
アルバムでの同曲は後半、本田 竹広のソロが倍速になってエキサイティングに盛り上がるのだが、ラジオでの演奏にはそういったアレンジは加えられておらず、エンディングはベースとドラムによるファンク・ビートのやり取りで締めるというもの。
おそらくメンバーにとって曲はひとつの素材であり、その日その日の気分でどんどんアレンジを変えていったのではないか。ひとつの型にはまらず、どんどん曲を変えてゆくという姿勢はジャズ・ミュージシャンに近いスタンスではある。

本田 竹広が当時のインタビューで語っていた「オレはフュージョンでもアコースティックでも、単にビートの違う音楽をやっているだけ」という言葉も、ネイティブ・サンの演奏を聴いていれば何となくうなずける。
やはりネイティブ・サンのメンバーは、楽器はエレクトリックでも気分的にはジャズをやっているんだな、と当時のエアチェック・テープを聴いて、強く思ったのを覚えている。

     
▲ネイティブ・サン前期のアルバム群(左から):『NATIVE SON』『Savanna Hot-Line』
  『COAST TO COAST〜native son live in USA』


筆者が『NATIVE SON』、『Savanna Hot-Line』、『COAST TO COAST〜native son live in USA』を「前期」と規定したのは、これら初期のネイティブ・サンに於けるアルバムにはジャズの持つ不良っぽさ、バタ臭さ、酒の匂い、ハードボイルドな大人の男のロマンティズムといったものが、一杯詰め込まれているからだ。そして、それが他のフュージョン・バンドとは一味もふた味も違うテイストを感じさせたのだと思う。
実際、その頃のネイティブ・サンのファンは女性より男性の方が圧倒的に多かったのではないか。
女性ファンが増えるのは「中期」の"トロピカル・サウンドタッチのネイティブ・サン"以降かも知れない。

さて、デビュー・アルバム『NATIVE SON』』については前稿で詳しく書いたので、ここではセカンド・アルバムの『Savanna Hot-Line』と『COAST TO COAST〜native son live in USA』について書いてみよう。

セカンド・アルバム『Savanna Hot-Line』はネイティブ・サンのみに関わらず、和製フュージョンの名作として位置づけられている。(注:音楽出版社「フュージョン決定盤101 」(2008年刊)でも、同アルバムは海外国内を問わずフュージョンの代表作として選出されている)
このアルバムの評価が高い理由は、やはり、このアルバムこそ「本田 竹広と峰 厚介が合体したバンド」というネイティブ・サンの魅力を、如実に伝えている作品だからだろう。
実際、デビュー・アルバムが本田 竹広のオリジナルで固められていたのに対して、このアルバムには峰 厚介のオリジナルが3曲入っている。ライブでやると今でも大盛り上がりのファンク・ナンバー「Animal Market」、隠れた人気曲「In Search Of Beauty」、そしてサバンナの夜明けを感じさせる「African Fantasy」だ。
本来、本田 竹広と峰 厚介の作曲センスというのは相当違うのだが、これら峰 厚介の曲はネイティブ・サンのサウンドに不思議とマッチしていて、違和感がない。
またデビュー・アルバム『NATIVE SON』が、サンバ調の楽しい曲が多かったのに比べて『Savanna Hot-Line』はタイトル通り、アフリカン・テイストを感じさせる曲もあったりして、ワールド・ミュージック的な趣きもある。それが識者の間で評価が高い原因かも知れない。

このアルバムの聴きどころは、レコードでいえばA面に集約されている。「Animal Market」「Sexy Lady」「Savanna Hot-Line」の三連発を聴いてほしい。日本のフュージョン・ミュージックのなかでも、最も良質のサウンドが詰まっているといっても過言ではない。
因みに「Savanna Hot-Line」はタイトル未定の頃、コンサートでは「GとE♭のサンバ」、また「セクシー・レディ」は「DmG7」のタイトルで演奏されていた。


続く三作目『COAST TO COAST〜native son live in USA』は、アメリカのライブハウスで収録された2枚組のライブ盤。各メンバーによる新曲、さらにデビュー・アルバムとセカンド・アルバムからのヒット曲で構成されているというサーヴィス満載の作品。新曲の数々はおそらく書き下ろされたばかりなのだろう、ピチピチと弾けるような若々しさに溢れている。
また「Savanna Hot-Line」での大出元信のプレイは、国内外のフュージョン・アルバムの中でもギタ−・ソロ ベスト10に入る格好良さだ。

データによれば、ニューヨークのライブハウスSEVENTH AVENUE SOUTHが収録場所ということになっているが、これは本当なのか? もしかしたら実は高円寺・JIROKICHIで収録された音源で、ジャケットだけあちらにすり替えたのではないのか。まあ、そんなことはあるわけないのだが、いやはや、アメリカの聴衆の熱いこと。
雰囲気はほとんどJIROKICHIのノリである。


そして、このアルバムからトロンボーンの福村 博が加わることになる。なぜトロンボーンを入れたのかという理由は、筆者の本田竹広インタビュー・サイトの中の「ネイティブ・サンの時代に詳しく述べられているが、本田 竹広によれば「サックス一本だとバンドのエネルギーを支えきれなくなったから」らしい。

しかし、これ、あくまで筆者個人の意見だが、福村 博のプレイうんぬん以前にトロンボーンという楽器自体が、ネイティブ・サンのサウンドにマッチしていたのかどうかは、ちょっと疑問に思う。もともと楽器の音質が鈍重気味のトロンボーンが入った事で、ネイティブ・サンが本来持っていたソリッドでタイトな鋭さというものが、幾分薄れた気がするからだ。
このアルバム以降のネイティブ・サンが、どんどん"リゾート・ミュージック化"していったのは、このトロンボーンという楽器のせいかも知れない、と書くのはあんまりだろうか。
だが、まあいい。そんな些細なマイナス面より、全体的にみれば結果として福村 博の参加はバンドにとってメリットの方が大きかった−とみるべきだろう。

フロントを二人にする事で、バンドのサウンドはより分厚くなり、うねりのようなものさえ感じさせるようになったし、バンドのサウンドもより拡がりをみせるようになった。
それに福村 博は一般的にはあまり知られていないようだが、とても良い曲を書く人なのだ。
実際、『COAST TO COAST〜native son live in USA』に収録されている彼のオリジナル「Autumn Dreams」は、その後ヴォーカル入りの別トラックにシングル・カットされて、TBSドラマの主題歌に抜擢されたりした。ネイティブ・サンのヒット曲といえば「Super Safari」の次に「Autumn Dreams」を挙げる人も多いかも知れない。

ともあれ「前期」のネイティブ・サンは人気もうなぎ上り、ハコもライブハウスからコンサート・ホールへと移り、お茶の間に当たり前のようにバンドの曲が流れたりして絶好調だった。

だが、初期のネイティブ・サンのサウンドの基調には、いつもまぎれもないジャズ・スピリットがあった−というのは忘れてはならないだろう。
      
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