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世界最大のジャズ・イベント、モントルー・ジャズ・フェスティバルの完全ガイド・サイトです。

モントルー・ノートHEADLINE

~町興しのイヴェントとして最大の成功を収める~



さて、まずは今年(2003年)で37回目を迎えるという、モントルー・ジャズ・フェスティバルの生い立ちから説明いたしましょう。

ここモントルーはレマン湖のほとりに位置し、18世紀からヨーロッパ人の避暑地として栄えてきたリゾート地です。
スイスという国は牧畜産業はそこそこ行なわれてきたものの、やはり最大の収入はアルプスの山々と湖といった雄大な自然を楽しむ観光客が落とす外貨でしょう。そう、スイスこそはまさに西ヨーロッパ最大の観光立国なのです。

この観光立国のスイスで、昔からモントルーという土地が占める位置というのはきわめて大きいものがありました。

といいますのは、スイスで一番最初にホテルというものが出来たのが、ここモントルーだったからです。
そう、観光立国スイスの基盤としての第一歩、それがここモントルーというわけです。

ただこのモントルー、避暑地として夏はそこそこ観光客が込み合うものの、冬はお客さんもぱったりという状態。それもその筈、やはりアルプスのお膝元という土地柄ですから冬は猛烈に寒い。数少ないホテルは冬には閉鎖される事も珍しくありません。

ホテルが少ないという状況は現在でもそうで、街には10数軒しかホテルがありませんし、ユースも一応ありますがこれもやはり冬には閉鎖されます。しかもモントルーの町の見所はレマン湖遊覧を除けば、シオン城という古びたシャトー以外、これといってありません。
(こんな状況ですから、ジャズ・フェスティバル開催期間中のモントルーではホテルも値段が高騰しますし、かなり早い時期に予約を入れなければ宿泊場所の確保は困難です。でも近郊のジュネーヴやローザンヌ、シオンといった町でしたら宿はいくらでもあるので心配ご無用です)

そこで40年近く前、スイスの人たちが考えた”オラホの街のPR作戦”は「ジャズ・イヴェントを開催して町興しをしよう!」という、今では別に珍しくとも何ともない、しかし40年前にはとても斬新なアイディアでした。

モントルー・ジャズ・フェスティバルの開催は、モントルーのみならず、そうした観光立国スイスの面目とプライドが掛かったイヴェントでもありました。それは現在の同ジャズ・フェスのパンフレットに連ねている、堂々たるスポンサーの名前の数々を見ればよく分かります。
そしてモントルーというひっそりとした静かなリゾート地は、このジャズ・フェスティバルの成功によって、まさに世界的に知れ渡るようになります。



モントルー・ジャズ・フェスティバルの成功を語る時、もう一人の人物の存在を忘れてはならないでしょう。
そう、モントルー・ジャズ・フェスティバルのプロデューサーとして長い間、このイヴェントを仕切ってきたクロード・ノブスその人です。
今はどうかは分かりませんが、彼はプロデューサーとしてのみならず司会者としてもステージに登場、モントルーの名物男としてその名を馳せて?います。
私はもちろん、このクロード・ノブスとは面識はないのですが、彼がこのモントルー・ジャズ・フェスに賭ける意気込みと情熱だけはひしひしと感じます。
実はスタッフを何100名も抱える大掛かりなコンサートやイヴェントも、こうした猛烈に情熱を持った1人の人物に支えられている事がとても多いのです。もちろん彼1人だけの力だけはなく様々なスタッフ達のサポートがあってこそですが、それでもクロード・ノブスの奮闘ぶりには脱帽です。

現在、モントルー・ジャズ・フェスティバルは毎年、開催期にこの小さな街に20万人の人々が世界各国から集まる一大イヴェントに成長しました。
まさに町興しのイヴェントとして最大の成功を収めたものといえるでしょう。

そしてこの成功を横目に世界各地のリゾート地ではジャズ・フェスが頻繁に企画・開催されるようになります。
JVC、クール、ノー・シース、モントレー(モントルーと名前は似ていますが、こちらはアメリカ西海岸) その他その他......。

日本でもマダラオ、マウント・フジ、そして今はなきライブ・アンダー・ザ・スカイ.......。
大掛かりなジャズ・フェスの主催者たちの脳裏には必ず、モントルー・ジャズ・フェスティバルの成功があったと言っても過言ではありません。

しかし、そういった世界各地で開催されているジャズ・フェスティバルと、モントルー・ジャズ・フェスティバルには大きな違いがあるようです。
以下、その違いについて書いてみましょう。


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