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ケイ 赤城 インタビュー 〜プロ・ミュージシャン篇〜


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高校卒業後は哲学と作曲を学ぶため、東京の国際基督教大学に入学、そしてカリフォルニア大学サンタバーバラ分校の大学院哲学科に進むため、再び渡米しました。

博士課程を専攻しておりましたので、その頃は大学教授を目指していました。
それでアメリカに着いてすぐ、ブルー・ミッチェルとかアート・ペッパーから声が掛かりまして「一緒に演奏してくれないか」ということになったんです。勉学の一方、大学のジャズバンドの作曲やオーケストレーションをしたり、ピアニストとしてピック・バンドに参加したりと、音楽活動を続けておりました。

25歳の時に、大学教授の道を止め、プロ ・ミュージシャンとしての道を歩み始めました。大学教授を目指していたのにプロのミュージシャンになる、というのは他の人には理解出来ない部分があるかも知れません。しかしそういった転機は自分でも意外な程、クリアに飛び越える事ができたのです。

今でもはっきりと覚えています。自分のアパートの椅子に座って「どちらの道に進むべきか?」と5分間迷いました。そうしたら簡単に結果が出たんですよ。「やはり自分は音楽をやりたい!」と。

これからの長い人生何10年もの事をたった5分くらいの短い時間で結論を出してしまったわけですが、人生の転機というのはもしかしたらそういうものかも知れないですね。自分の人生の中で本当に大事なことを決めるというのは、考え抜いて計算して「ああでもない、こうでもない」と自分の中で議論をし尽くしたとしても、最終的には直感に頼るしかない、っていうのはありますから。

その後は人生の選択を、プロのミュージシャン一本に絞って活動しました。アイアート・モレイラ、 ジョー・ファレル、アル・ディメオラ、ジェームス・ニュートン、アラン・ホールズワース、ジャン・リュク・ポンティといったバンドで仕事をしました。

そして遂に1989年、マイルス・デイビスのグループにレギュラー・キーボーディストとして加入することになったのです。


(以下、ケイ 赤城インタビュー 〜 マイルス・デイビス バンド篇 その(1) 〜 に続く)