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ケイ 赤城 インタビュー 〜マイルス・デイヴィス バンド(1)篇〜


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私がマイルス・デイビスのバンドに在籍したのは1989年から91年のほぼ2年間です。
マイルスの最晩年を一緒に過ごさせていただいた事になりますね。私がマイルスのバンドに加入したきっかけというのは、マイルスのマネージャーからある日、私のところに電話が掛かってきたのです。

マイルスのマネージャーは、その頃私が在籍していたアル・ディメオラというギタリストのマネージャ−と仲良しという関係でした。それで当時、僕はアル・ディメオラのバンドを退団したばかりでしたし、マイルスのバンドの2人のキーボーディスト(注:ロバート・アービングとアダム・ホルツマン)もちょうど辞めた時期で、「マイルスがキーボード奏者を探している」ということで、僕のところにオファーが来たというわけです。

それで「マイルス・バンドの加入に関して、もし興味があるならデモ・テープか何か送ってくれ」とマイルスのマネージャーから言われまして。私はアコースティックな曲、普通のジャズですけど、それをレコーディングしたものがいくつかあったので、それを集めてマイルスの元に送ったわけです。そうしてテープを送って3日くらいしたら「ぜひ加入してくれ」と連絡がありました。

その時はうれしいというよりも、「大変な事になったなあ」という気持ちの方が強かったですね。
というのはね、最初はマイルスからの誘いを断ろうかと思ったんです。
といいますのは、それまで自分はずっと他の人のバンドでサイドメンとして演奏してきましたから、「もうそろそろ自分でバンドを作って自分の音楽をやりたい」と思っていた時期でしたから。

でもね、やはり「マイルスからの誘いを断ることは出来ない」と思って...。
マイルスと一緒に音楽をするというのは、やはり自分の人生経験としても最高に素晴らしい事ですし、そういうチャンスに恵まれるということは滅多にない事ですよね。またマイルスのバンドにいた人ってアメリカ人でも日本人でもあまりいないでしょ? やはりマイルスのバンドに在籍するというのは大変ステータスな事ですから。それでマイルス・バンドへの加入を引き受けること
にしたのです。
ですから今振り返ってみると、マイルス・バンドに加入したのが僕にとってはサイドメンとしては最後の仕事になりましたね。

(以下、ケイ 赤城インタビュー 〜 マイルス・デイビス バンド篇 その[2] に続く)